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『在日』が悪ではなく『反日』が悪なだけ

 嘘か本当か、今旬のお笑い芸人8.6秒バズーカの『ラッスンゴレライ』ネタが8月6日広島の原爆を揶揄したものだという説が浮上してきている。初めはそんなバカな!ただのこじつけでしょと思っていたものの、少しずつおや?と思うような材料が出てきた。うちの息子も真似している口なのでこれは気になる。

 特に、2年以上も前の本人のツイートで「もう日本オワタ。中国と韓国とロシアに一気に攻め込まれる(笑)植民地ぷぎゃあ」(既に削除済み)という一節。吉本興業のタレントリスト(これも削除済み)から彼らが在日であるとほぼ確定されたようなので、ネタが原爆揶揄に直結するかどうかは別にして日本を腐したり嘲笑っているのは間違いなさそうだ。

 本当に虚しい話だ。国籍が違っていても自分が生まれ育った国をそうやって嘲ったり恨んだり憎みながら生きなければならないのだもの。もし日本が植民地になるときは自分たちも酷い目に遭ってるはずなのに。そこまではイメージできないのだろう。自分が住む国の没落を嘲笑うことが自分たちの未来までを貶めていることに気付いていない残念感。


 私自身は在日かどうかが問題なのではなく反日かどうかで物事を見るようにしている。この世に生まれ出た時に本人が国籍が選べるわけもないのだから。普通の公立学校に行き、通名を使い続けていたため自分が在日だということに気付いたのは大きくなってからという話はよくあるようだ。つまり在日叩きをしていた自分が在日だったということも有り得る。だいたい私自身だって数代遡ればどこの何人かわかったものではない(ちなみに私の顔立ちは東南アジア系と言われる)。みんなそうだ。なので在日をひっくるめて悪とするのは違うと思っている。

 ただし、在日が自分の意思で日本に逃れてきたのにも関わらず「自分たちは強制連行された被害者」と偽り、脅したり、暴れたり、ゴネたり、ゴリ押ししたり、泣き落とししたりして優遇を受けている事実は間違いなくあり、こうした件に関しては批判すべきだと思っている。しかしこれとて、彼ら在日だけを糾弾して終わる話ではなく利害が一致する日本人が必ず陰に日向になり共に組んでやってきたことだということを忘れてはならない。すべてを在日のせいにすることはできないのだ。

 左派はずっと自分たちのイデオロギー主張のために在日を弱者として利用してきたし、北朝鮮などには思想的にもシンパシーを感じていた人たちも多くおり拉致などないと豪語していた。また、イデオロギーなど関係なく袖の下文化が根付いている在日はお金を使って日本人を動かすのも上手い。知り合いの帰化人社長は大手企業のエライさんを定期的に韓国に連れて行き遊ばせている。まあそういうことだ。こうして政界でも経済界でもつるむ日本人がいてこそ在日の存在感は大きくなっていった。


 たまたま日本に生まれ、たまたま国籍が日本でなかった人が在日3,4世だ。それは私たちだったかもしれない。成長するまでに彼らがどんな教育を受けどんな風に育ってきたかでこの国で生まれてよかったと思えるか憎んで生きるかが決まる。もし在日が自分の生まれ故郷として、日本に住む運命共同体の一員として理不尽な要求をすることなく共に生きようとするのなら歓迎すべきことだ。

 しかし、残念なことに現実に表に出てくるのは今回のような8.6秒バズーカやソフトバンクCMのネガティブなネタ、韓国上げ日本下げのサブリミナルTV放送などばかり。やり過ぎていることをネットという媒体の登場で隠せなくなり、在日全体が生きにくい世になりつつあるという悲惨な状態だ。もう在日社会自体が自浄していかねばどんどんと肩身が狭くなるだろう。もう「私たちは被害者だ」は通用しない。

 とはいえ、嫌韓の風潮が強まる中で、私たち日本人は在日が悪ではなく反日が悪だという冷静な視点だけは持っておくべきだ。理不尽に日本を貶め国益を損なう『反日』行為に人種は関係なく、日本人にも大勢いるのだから。

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息子の中学校入学式 『国歌斉唱』と式次第にはあったものの

 先日、息子の中学校の入学式があった。普通の公立中学校だ。素晴らしい入学式だったが一つだけ、本当にたった一つだけ残念に思うことがあった。国歌斉唱でほとんど歌声が聞こえなかったことだ。

 息子が今春から通う中学校は実は3年ほど前まで物凄く荒れていた。市内ワーストランキング上位だったらしい。同市小学校で校長をしている親戚が私学に通わせる方がいいかもと言ってたくらいだからよほど悪かったのだと思う。

 しかしそこまで悪くなると市教も集中的に対策を講じざるをえなかったわけで、先生の大幅入れ替えをし体育会系の強面系の先生を補強したようだ。現在校長先生は厳しくも優しそうな女性。この校長が試行錯誤しながらもがっつりと学校改革に取り組んでおられるみたいだ。

 また 新入学生の事前説明会で生活指導担当の教師も学校を変えるために奮闘されている空気が伝わってきた。その時、こういう熱意ある先生が他の先生や生徒をけん引しているのなら学校は変わってくると薄っすらと感じてはいた。


 入学式当日。
 保護者は新入生が入場するまで座席で待機。この間、在校生2.3年が校歌や起立、着席の練習をしていた。指導する先生方は厳しくチェック。新入学生を気持ち良く迎えようとすることと、キビキビした動作で1年生のお手本になろうとの指導がされているのだろう。

 校歌も式歌も本番前の練習とは思えぬほどトリハダが立つほど上手で大きな声が出ていた。吹奏楽部のこれまた素晴らしい生演奏が雰囲気を盛り上げる。音楽の先生も厳しそうだけど相当熱意ある指導者らしい。

 式が始まり新入生が吹奏楽の演奏をバックに緊張した面持ちで入場。全員起立。開式の辞の後すぐに国歌斉唱。なんと!これも吹奏楽部の生演奏だった!とてつもなく厳かな雰囲気に震える、、、が、、、ほとんどの生徒が歌ってない。歌声が聞こえてこない。え?あれだけ校歌と式歌は大きな声で上手く歌っていたのに。そりゃそうだね。だって国歌は練習してなかったもの。残念だ。校歌と式歌はむちゃくちゃ練習したんだろうに、国歌の練習は一切なし。変な国だとつくづく思う。

 ただ、その後も校長をはじめ、PTA会長など登壇者は掲げた日の丸に一礼。生徒たち全員がピシっとした起立、礼、着席を繰り返した。立派だった。生徒たち自身も誇らしそうだった。新入生は来年は自分たちが在校生の立場であれをやるんだと刻んだだろう。

 子供たちのキビキビとした動きは見ていて気持ちがいいものだ。先生方は物凄く頑張ったはず。感謝したい。でも日教組教師はこういうの嫌いだろうな。「軍隊みたい」と言いそう。もしかするとあの学校から一掃したのかも。もともと地域的に左派教師が集まる学校だったから。

 日の丸も君が代も序列も規律も嫌いな先生がいるかもしれない。しかし民が平等に受けられる日本の公教育の場ではこれらを大事にし、社会生活の一員になるための準備をしなければならない。決められたことをきちっとする。これができてからその先に自由がある。自由には責任がついてくる。他人に迷惑をかける自由などは自由とは呼ばず自分勝手という。


 誤解されるかもしれないので言っておくが、先生たちはただただ厳しく上から叱っているだけではない。学校改革への情熱がありそれが生徒に伝わっている状態だと感じる。そして、話して聞かせる。今なぜこれをするかを理解できるように話す。できたことを褒める。改革の一環として地域のイベントへのボランティア参加に取り組んでいる。こうした体験を通じ、保護者や地域の人に素晴らしい生徒たちの振る舞いを見せて褒めてもらう。生徒たちが自信と誇りを持てるようになる。先生方は大変だ。時間外や休日の活動も多い。生徒たちを心から思う気持ちがなければできないだろう。おそらく全員というわけではなく数人のそういう先生があの荒れた中学校を変えているのだと思う。


 しかしだ。君が代が歌えないのは本当に情けない。吹奏楽部のあんなに重厚な演奏を背景に歌えるのにもったいない。みんなYoutubeを見て練習して心を込めて歌ってほしい。サッカー日本代表だって歌ってるよ。

西村眞悟氏の台湾慰安婦懇談会より-強制連行「まずありません」

 西村眞悟衆議院議員が台北で慰安婦についての懇談会を開かれました。台湾で戦前戦後を生きた有識者、知識人、実際に軍属された人による慰安婦に関してのリアルな発言の数々です。素晴らしい内容なので、できるだけたくさんの人に知っていただきたいと思い、今回文字起こししてみました。慣れないことで、聞き取りにくかったり、不明なところがありましたが、大筋では差し支えないと思います。もし誤字、間違い等、お気づきのことがありましたらコメントを下されば嬉しいです。

西村眞悟の「慰安婦に関する発言」を養護する台北懇談会



(司会)眞悟の会・堺 天野 喜一朗 事務局長

今現在問題となっております慰安婦問題につきまして、昔の話をですね、実際はこうであったということを、皆様方一人ひとりの口からご発表いただいて。どうぞよろしくお願いいたします。

西村 眞悟 衆議院議員

今、天野さんがおっしゃったとおり、楊先生のお声掛けで雨の中ですがお集まりいただいて誠にありがとうございます。従軍慰安婦という問題はですね、実は中華半島である朝鮮半島のこの地域と、我々日本の文明の衝突の象徴的な言葉であります。で、これによって日本をですね、永遠に劣等民族に留め置かして自分たちが有利な地位を占めたいという戦略的道具が、従軍慰安婦をわが日本人が強制連行して妙齢の若い女性を性奴隷にしたと、とてつもない捏造をおもにアメリカで広げようとしています。それが真実であれば私は何も戦いませんが、真実でないならばですね、中華世界のウソが国際社会に通ることは許すことができないということであります。これは文明の衝突の武器としての彼らの言い分でありますから。それと同時にですね、私たちが皆様に学ばせていただきたいのはですね、台湾は過酷な、蒋介石の戒厳令支配の中におりましたけれども、我々(日本)は一見過酷ではありませんが、民族の誇りの源泉である歴史を奪われながら、戦後そういう教育の中で過ごしました。したがって今のマスコミ
界も政界も戦前戦後の連続性がないのです。戦前は悪い日本だったという風に教育されて、そのまま大人になって、そして裁判官になり、政治家になり、してるわけであります。台湾に参りましたらいつも思うのは、日本の戦前戦後の連続性がここで皆様方の中に生きておって、我々はそれに学ばねばならないということであります。本日楊先生のお声掛けでこのようにお集まりいただいたみなさんに学ばしていただいて、私も真の日本人としていずれの
日かあのおぞましい中華人民共和国を崩壊させるまで日本の政治家として頑張るという風に思います。どうぞよろしく、いろいろご意見、自分の体験談をお知らせいただきますように。で、その時、中華人民共和国を崩壊させるときは、台湾と日本は真の同盟国として東アジアの歴史に名を留めるということでございます。よろしくお願いいたします。


蔡 焜燦さん

昭和2(1927)年台中生まれ 
台湾有数の愛日派知識人・実業家 司馬遼太郎著「台湾紀行」では案内役の老台北として登場
蔡さんの「台湾人と日本精神」は日台の絆を強めた名著



 私の時代で、昔は慰安婦と言ってませんでした。それが戦後、慰安婦という言葉が出、それからあの河野洋平のやつが従軍という言葉をまた入れて従軍慰安婦になってだんだん拡がってるんですよね。そんなものは本当はないんだということで終わればいいのに。チャイナという国、それとコリアという国たちがこの問題をいつも取り上げて、取り上げて、日本政府に銭よこせってやるのをね、従軍という言葉までかぶせてやってきましたが、ある意味では昔は台湾でもこういうのはあったんです。ちゃんとラジオ、テレビに出て私は騙されたとか、私がどうされたかとかいうのがおりますが、そのばーちゃんたちはひとりひとりあちらに行って台湾静かになった。で、静かになる前に小林よしのりが台湾来て「台湾論」書いて、僕がアテンドしたんですよ。それよりずっとあの男、台湾がお気に入りになって二回来たんですけどね。二回目のときに偶然にも私が慰安婦問題を取り出し南の方でも「慰安婦問題はない」とやったんですよね。それを漢文に訳されたのが出たとたんに、まあ私は酷い目に遭いました。果ては私を誘拐しようという組織まで出たんです。だから家を出るときに辺りをこう見て(顔を左右に振る)、誰もいなかったら出て行くとかね、そういう時代がありました。で、まあこれはもう収まりましたが、従軍慰安婦という問題がずっと後を引いてますね。で、このことについてね、いわゆる台湾で台湾の女衒たちが女の子に前借いくらかのお金を渡して戦地に連れていく。日本本土の女性も、それから台湾の女性も、朝鮮の女性も、そういう意味で
、慰安婦を戦地に行ってやっていたんですよね。私は終戦直後佐世保で一人、20人くらいの慰安婦が海南島から帰ってきて、台湾に帰ってくるためにスタンバイした。その20人くらいのおばさんたちと一緒に1ヶ月くらい暮らしました。いろいろ聞きました。おばさんたち、まあ苦笑いしながらなにしとったんですけど、ある時ポツンと、こんなことを私に行ってくれました。「兵隊さんが喜ぶと。日本語をしゃべる女性を抱くのが好きだと。」しかしその時だって従軍慰安婦という言葉はありませんでした。この従軍慰安婦の戦犯第一号はね、江沢民の雇い兵。河野洋平。そうなんですよね、河野洋平なんです。西村先生、これ大きい仕事ですよ。あと半世紀かかります。大和民族のひとつの大きなプライドですから、あの皆さん、がんばってやって下さい。以上でございます。


楊 應吟さん

大正15(1926)年 台南生まれ 高雄工業学校在学中学徒動員
戦後台湾の復興に貢献した後 電気使用の無針鍼を考案台北に電気鍼治療の弘明堂治療院を開業
日本語会話グループ「友愛会」の中心メンバー 日本賞賛の著作あり


 慰安婦のことに対してですね、我々はまだ学生時代だったから直接の関係はないけれど、まあそういうね、話は聞いておりまして、台南には新町というところがあって、赤線で、置屋というか、??(不明)というか、飲み屋というか、そこが主に、我々が俗に言う朝鮮ピイと言ってね、やっぱり遊びがあったわけなんですよ。ところが戦地に行くということになると、今度はまた見方が変わってくるわけですね。我々が朝鮮ピイと言うと歴史の先生に怒られるんですよ。それで彼らも出るときはなにか出征軍人の旗みたいなので送られていくから。これはもうたいしたもんだと、こう思っとったんです。なんでこういう戦地まで出向いて、そういう方々の慰めをしないといけないかというと、実は当時の日本の軍隊というのは非常に軍律が厳しくて、他の国みたいに戦勝国だから、あるいは戦争に勝ったらそこに行って略奪、強姦、もういろんな悪いことをね、やるんですよ。これは私が自分で言うんじゃなくて、実は私は後に研究所に入ったとき、蒋介石が台湾に逃げてきた敗残兵たちが我々の後任として働いておったんですよ。その後任が言うには、もう兵隊になったら、略奪、強姦とかね、賭博、それから麻薬、そうしないものはないと。その五悪を全部話してくれるわけなんですよ。だからそれを抑えるがために、この制度があったということを聞いております。当時は中学出たものがサラリーは40円ですね。で、我々工業だから余計5円で45円だったんですよ。で、慰安婦になって行かれる方は、当時200円の給料を貰うと。だから非常に高額で戦地に行か
れると。で、しかも話によれば一ヵ年分の前借もできて、うちの困難な方には非常に助けになったという話を聞いておりました。そしてまた、クラスメートの中でもお父さんがこういう女性の、まあ言うなれば置屋というかカフェ(?)のボスですね。それがこの女性を取りまとめ役ですね。それで軍属のかたちで戦地に行っとったことを聞いたことがありました。


陳 添良さん

昭和3(1928)年生まれ 16歳で軍属に志願 軍属としては2年毎の契約だったが
フィリピン、シンガポールに派遣され軍属として働く



当時私は、16歳で日本の軍属に志願しまして南方フィリピン、シンガポール、それから終戦は???で終戦を迎えました。で、当時の慰安婦に関することは、私たぶん詳しいですよ。当時台北のバイカには女郎屋がたくさんあって、?とか、「朝鮮楼」とかいう女郎屋があったの。その女郎屋はね、とにかくまあ月6、70円くらい稼ぎますよ。当時日本の慰安婦はね、月200円稼いだ。200円だったらね、その当時1年間働いたらね、まあ20坪くらいの家が2階建てを一棟買えますよ。そうすると一生生活できますから。だからみんな志願しますよ。で、当時の台湾はね、生活が苦しいから育てた人があったらね、ほとんど売ってしまうの。養女になるの。その養女になったらもっと苦しいの。その養女が、慰安婦になったらもうみんな嬉しいですよ。それを受けるために志願してるのたくさんあるよ。もう何倍とね、養女よりいいの。それで、養女を抜けるために志願ししてる。で、当時台湾と朝鮮と日本もありますよ。それで戦地はね、日本人はね待遇が良いから芸者というの。芸者。日本人のは芸者というの。中国と台湾と現地もありますよ。現地もあるよ。で、みんな待遇がいいから、みんな入ってくるのよ。で、当時ね、私たちは(戦後帰国するには)検問所を通らないと帰れないですよ。それで日本でもね、情報?の人、憲兵隊の人、通訳の人、その人はね、みんなね、もしもそのまま帰ったらみんな戦犯になりますよ、戦犯に。それでそのときはみんな商売人に化けて帰るの。慰安婦になったらね、当時1年働いたら一生食べられると志願していくのが多いと思います。それであるいは、看護婦になってから慰安婦になったというのは、本当はウソですよ。当時ね戦地から帰るときね、慰安婦の??で帰るとおかしいから、看護婦の??で帰ってきたの。それを反対に今、看護婦に志願して慰安婦になったという。180度ウソですよ。


<質問>その時軍隊が、強制連行とかがありましたか?

(楊 應吟さん)
まずありません。私が補充します。みんなね、志願といってもみんな行けるわけじゃないんですよ。まず身体検査で、身元検査、やっぱり病だとか、あるいは強制されたかどうかということもやっぱり検査のうちに入るんですよ。ですから決して、強制だとかそういうので行ったわけじゃないんですよ。


谷口 浩三さん

貿易会社社員として長く台湾に駐在した経験があり、現在も年に数ヶ月は台北に在住
日台関係の向上に向けて活動中


今の新社郷というところの民生課長をしておられる方、その課長さんが新社郷で、昔日本の慰安婦をしていた人が調べたら4人いたわけですよ。で、その4人のお宅へ実情調査に行ったときにですね、どう言ったかというと、「私たちはね、貧乏な家庭に生まれて、女郎屋にいた」と。やっぱり民間の業者が日本兵のために慰安所を設けるから、どうだ?という。衛生面でも毎週検査してくれるし、報酬も200円、300円。当時のお金としてはこれはまあ大変なお金。私たちはもともと貧乏で慰安婦をやっていた、軍隊のそういうところにいったらこれはいいということで行ったわけです。何も強制的とかではなく、もう喜んで私たち行ったと。それで終戦後、日本は引き上げて、あと我々は幸いそういうお金がたくさんあったから、ちゃんとした結婚をして、今孫もできて、非常にありがたい生活をしてますと。もうどうぞ、この静かな生活を乱さないで下さいと。我々は日本に感謝しています。強制的なんてとんでもないって、こういうことをはっきりと。4人が4人共ね、日本が今あんな朝鮮が騒いでなんかしてる。何で今更そんな恥を穿り返してですね、まるで日本軍が強制的にやったとか、私はそんな人の気が知れませんと。



劉 心心さん

昭和3(1928)年 台湾生まれ
台湾のジャンヌ・ダルクと言われる論客 著書もある


私の経験としましては、戦時中私は女学生でした。女学校時代に看護婦の、従軍看護婦の募集は来ましたけど、そういう話は私たち女学生の耳には入りませんでした。それで後から聞いた話ですけれども、陳さんと同じようなことで、とても給料がいいからもともとのもともといわゆる遊女みたいなかたちの生活をしている方は、とても給料のいいところだからそこに行きたいと、そういう気持ちで志願した人の方が多かったと思います。強制されたんじゃないです。ただ、終戦間近に行った人はそういうわけにはいかなかったんです。慌てて帰ってきたもんですから、給料一銭も貰ってないとか、それから大部分貰ってないとか、そういう方たちもまあ少なくなかったんじゃないかと思います。自分はせっかく行ったのに、お金を貰えなくてやはり貧しい生活に帰っていったし、それから、終戦後の蒋介石軍が、敗残兵が来たときには、もう彼らは日本軍に負けて、負けて、負けて、重慶みたいなところに押し込まれたんですから、やって来たら、もう江戸の仇を長崎でどころじゃないですよ。もういじめられましたね。台湾人が非常にね。私の父はその白色テロの件で全財産没収されましたし、拷問されましたしね。
せっかく行ったのにお金を儲けることができなくて帰ってきた人のもとの生活に戻って、貧乏っていうんですか、そういう生活をしている人に目を付けた人がいるんですよ。それでそういう人たちを扇動して日本から賠償金を貰うべきだって。それが元なんです。


(陳さん)

私だって同じですよ。戦地で終戦になってから俸給もらわなかったですよ。講和条約を結んでいないからダメだと。で、私たちは戦地で帰るときで、身分???のものは持って帰れないと。時計、万年筆すべての周りのものを持って帰れないから、みんな現地で処分して、また当時の郵便貯金が2300円です。18回分の俸給と2300円分の郵便貯金、あわして???円しか貰えなかった。

(劉さん)

扇動する人がいたんですね。中国人の方がきて。で、中国人はなるべく台湾の人に日本は悪かった。お前たちは日本を懐かしむもんではないということをね、日本敵視、日本風拒絶、そういう風でして、ですから日本語を話しては嫌がられるし、それから子供たちは全部中国語で話さなければいけないし。ですからそういうところに付け込んで、戦場に何のために行ったのか、隣近所そりゃそういう人たちの住んでるところは密集してますからみんなわかりますでしょ。その人が何しに行ったかわかってるから、それで周りの人も扇動されて、何だお前日本に借り出されていって、何もカネになって返ってきていないじゃないか、どうして恨まないかって。そういうわけなんです。それからだいたいね、日本の方はね、戦争に負けた負けたって頭の中にあるだけで卑屈すぎますよ。台湾から韓国に遊びに行った人がね、あの頃はまだ私たち日本語の方が、今でもそうですけど日本語の方が話しやすいですですからね。それで行ったらね、日本語で話したらタクシーの運転手から追い出されたっていうことがありましたね。それで私も主人が医者ですから、医学界で行きました。そしたら日本の方も医学界で来ていて、奥さんたちと私
も懐かしいからね、よく日本の奥さんたちとお話してましたの。そしたらある時、韓国人のグループに呼ばれてね、「お前は台湾人だろう。台湾人なのにどうして日本人と親しく話して、毎日日本人と話ばかりしてるか」と言うんですよ。で私はね、「あなたは韓国人で、韓国っていうのは戦争が終わってから独立した幸せな国民で、私たちは中国の敗残兵が入り込んで酷い目になっていることをあなたたち知らないんですか?!少し歴史を勉強しなさい!」って言ったんですよ。私のブロークンイングリッシュでね。そしたらその次の翌朝の朝食で同じホテルでしたけれどね、その朝食の時に出て行ってね。皆さん私よりずっと流暢な日本語で話しかけてくれました。結局彼らは内心はね、日本をそんなに悪く思っていないらしいんですよ。それから日本を懐かしく、日本時代にもいい目を見た人かもしれませんよね。それが圧迫されて外では。だから私は日本人と話するのがね、こういう人と同じグループにいたということが後で他の人の耳に入ったら困るから私が呼び出されたんですよ。


(蔡さん)蔡さんは日本からの留学生を受け入れ、日本人教育に尽力している貴重な方です

今年高校を出た子が台湾に留学が決まりました。入ってきた。今の子供たち、日本の子供たちに暗記さしてる。で、教育勅語だけじゃなくて、五箇条のご誓文も暗記している。


(劉さん)

戦後まもなくね、日本の学生さんが日本語を教えに来るっていって来たその日本の学生さんに会いましてね。で、「本当に日本語でお話するのは楽しいわね」って、それで、

「あなた、こういう歌ご存知?
  
『 御民われ 生ける験あり
   天地の栄ゆる時に
    あへらく思えば 』 」

「知らない。聞いたことありません」

ええ?!と思いましたよ。

「じゃあ、

 『 海ゆかば水漬く屍
    山ゆかば草生す屍
     大君の辺にこそ死なめ
       かえりみはせじ 』」

それも
「知らない」

ええ?!と思いましたよ。ええ?これが日本人なの?と思いましたよ。あの時は。だから、日本の戦後の教育は私賛成できませんね。ある部分。




楊 素秋さん

昭和7(1932)年 台湾生まれ 前出楊 應吟さんの妹 親日の
言論人として「日本人はとても素敵だった」を刊行



慰安婦という言葉はごくごく最近になってから、私耳にした言葉なんだけども、性の奴隷というけれども、この性の奴隷っていうのは、これは5千年前から中国からはじまってるんです。皇帝には三千人の慰安婦があったの。それでね、台湾になかったかしら。蒋介石っていう石ころが、原子爆弾が台湾に落っこちた時に(←たぶん蒋介石のこと)、金門と大陸が喧嘩してたんです。私金門に行ったんです。行ったときもまだ撃ち合っていました。その時に、軍中楽園というところがあったの。それね、それだって一種の慰安婦じゃないですか。で、戦争がある限りそれがなかったら、いわゆる良家の婦女子とか小さな子供とかいわゆるその周辺の国民が気の毒なんです。例えば沖縄の米軍。私が沖縄に行ったときのことです。沖縄大学の教授が私にこう言ったんです。僕たち沖縄の人間は非常にアメリカ人を恨んでいると。沖縄を占領したときの、赤線地区みたいなものがあった。沖縄人を人間とみていない。例えばお百姓さんがお仕事して帰るときに、トコトコ歩いてるとそれをジープで轢いてしまうんだって。そしたらね、その喚いている農夫を見て、黒人とかアメリカ人が手を叩くの。それほど私たち東洋人というのは
ないがしろにされているわけ。で、みなさんがいつも悪かった悪かった、戦争悪かった。(というけれど)戦争悪くありません。私は戦争礼賛者じゃない。だけども、生物、命ある生き物がある、その世界というのは、私たちのこの宇宙だけでなく、この小宇宙(身体)だって細胞が叩き合ってるんです。例えばひとつの家庭だって夫婦喧
嘩とか兄弟喧嘩があるように、小さな動物は大きな動物に食われるんです。それは、戦争は日本だけが起こしたもんじゃない。大東亜戦争について日本の方はね、いつもこう苛まれているけども、いいですか、大東亜戦争がなかったら、東洋人種は白色人種に統治されてしまって奴隷にされとった。いいですか、それでね、慰安婦というものは自分の家族を守るために出かけた。喜んで出かけたといっていいでしょう。今さっきのお話を伺っていると。私は終戦後13歳で何もわからないし知りませんでした。ですからね、日本だってね、西村先生、今日本の社会っていうのは本当のことを言ってはいけないんですよね。いわゆる、正義という言葉がなくなっちゃってるんですよね。例えば先生みたいに慰安婦問題を正当だったと言ったら引き摺り下ろされそうになるし、田母神先生は日本はい
い国だと言ったとたんに幕僚長から引き下ろされる。じゃあこう言わなければいけないのですか?「僕たちはバカです。日本人はとってもバカです。悪い国です」と言わなけりゃいけないんですか?憲法を変えて下さい。憲法の一にこう書けばいいのです。日本に住んでいる、日本の土地に足を踏み、日本の米を喰らい、日本の水を飲んでる日本国人というものに対し、こう言えばいいんです。自分の母体、母なる国日本を瑕付けるような言動、他の国と手を組んでね、日本の国をね、ないがしろにする人はこの国から立ち去れって!出て行けって言ってちょうだい。


(劉さん)

日本の大東亜戦争でたくさんの植民地がみんな独立しましたでしょ。それで私が恨みに思ってるのは、どうして日本は台湾を手放して台湾を独立させなかったんですか!


(蔡さん)

これはね、いわゆるその、9月2日ミズーリ号令。あのマッカーサーが重光葵(外相)ともう一人梅津(参謀総長)、降伏文書とった時に、指令第一号で蒋介石氏の派遣を、連合軍のナントカっていう総司令に台湾に進駐しろと、進駐ですよ。台湾を返すとも言ってないし、なんとも。それで蒋介石が進駐に来たが、それは進駐軍としてきたの。で結局日本と世界的に降伏、条約(サンフランシスコ講和条約)、その時に日本は台湾の権益を放棄した。ね。放棄したの。どこに投げるとも言ってない。


(楊 素秋さん)

中国は、蒋介石はね、戦勝国じゃないの。彼らは負けて負けて、もう行き所がなくてマッカーサーにお願いして、なんとかして下さいとお願いに行って、じゃあ軍事占領として連合国に変わって台湾にちょっと式典に参加してくれと言われただけよ。で。どこにもあげるって言わなかったし。


(劉さん)

台湾に来る道がなかったら、彼らは海の藻屑になってましたよ。それ以外道はありませんから。


(楊 素秋さん)

そうそう。だからがんばって下さい。(西村議員に向って)


(蔡さん)

終わりに西村さんに二つ、建言することがあります。ひとつは、もう数十年自分で悩んだことですが、いわゆるカイロ宣言、これはルーズベルト、チャーチル、蒋介石、カイロ宣言に対してはサインしてません。で、そのときスターリンは参加してませんでした。カイロ宣言の中にね、日本が中華民国より窃取せる台湾及びそれに付属する諸島は、中華民国に返さるるべし」という、まあ法的にも宣言にはなってませんけどずっと残ってます。このことについて日本の政治家、有識者何をしているのかと私思うんです。これは明治27年4月、下関の春帆楼で、伊藤博文と李鴻章がね平和条約選んだ時に、堂々と日本に割譲した台湾なんですよね。窃取してません。それを日本の偉い人は問題にしてないんですよね。これ私おかしいと思う。これが一つと、もう一つは支那というくに朝鮮という国
は、小さなことでいろいろやってます。ところが露助(旧ソ連)が60万人の日本人のシベリアに抑留して何をやらしていたか、それについて大日本帝国の臣民として、一人としてロシアに対し文句言ってるのはおりません。ね。日本て本当にそんな国だったでしょうか。私はそう思うんです。これやり返さないといけないんですよ。やり返
すということが、この慰安婦問題にも絡むし、拉致問題でまだね、何をやってるか当事者もみんな死ぬような歳になってるんですよ。
日本はあまりにもおとなし過ぎます。西村眞悟、あと100人出て来い!!ということですよ。 頑張って下さい。


以上

全文書き起こしでした。

それでも続く日本国内の地方での慰安婦決議

 また一つの地方議会が慰安婦決議を通してしまった。島根県議会だ。詳細を皆さんに知っていただきたいので産経新聞のweb記事を全文引用させていただく。

島根県議会で可決された慰安婦決議
2013.10.8 08:07 (1/2ページ)[歴史認識]

 ■自民までも賛成 危機感なし

身内の対応憤り

「特定の社だけの取材は受けられない。これから本会議だから…」

 島根県議会が開会した9月12日。議長の五百川純寿(いおがわ・すみひさ)(64)=自民=は言葉を濁して議長室へ消えた。

 同県議会では6月26日に「日本軍『慰安婦』問題への誠実な対応を求める意見書」を賛成多数で可決した。竹島(同県隠岐の島町)問題を抱え、国際問題には敏感であるはずの島根県で、なぜ自民までも賛成に回ったのか。記者の問いに五百川は答えようとしなかった。

 根拠もなく旧日本軍による慰安婦募集の強制性を認めた河野洋平官房長官(当時)談話を基にした意見書は超党派によって提案され、民主、共産などに加え、自民も1人を除き賛成し可決された。

 《日本政府は1993(平成5)年『河野談話』によって『慰安婦』への旧日本軍の関与を認めて、歴史研究、歴史教育によってこの事実を次世代に引き継ぐと表明しました。(中略)日本政府がこの問題に誠実に対応することが、国際社会に対するわが国の責任であり、誠意ある対応となるものと信じます》

 採決の際に退席した自民党県議、小沢秀多(ひでかず)(63)は、「われわれ自民党はいわれのない批判に対し敢然と立ち向かい、日本人は強制連行をやっていないと言わなければならないのに、危機感がなさすぎる」と、身内の対応に憤りを隠せない。

 当初、小沢は本会議で反対討論をしようとしたが、自民会派の幹部から止められた。

 「異議を唱えるなら、ペナルティーを科さねばならない」


 小沢は幹部の冷たい言葉を次期県議選で公認しないという脅しと受け取った。心配した支援者らから説得を受け、小沢は反対討論を断念した。議場退席はせめてもの抵抗だった。

議長選バーター説

 議会関係者の間では「意見書」議案に自民党が賛成した理由について「議長選とのバーターだったのでは」といった噂がまことしやかにささやかれる。6月議会で五百川が議長に選出された際、民主会派は賛成票を投じた。自民と歩調を合わせたのは異例の対応だった。

 民主会派の会長、和田章一郎(66)は「そんなひきょうな話はない」と「バーター説」を一蹴したが、ただ一人反対した無所属の成相安信(なりあい・やすのぶ)(61)は「民主との水面下の根回しが優先されたに違いない」といぶかる。

 成相は議案の本会議提出を決めた総務委員会でこう訴えていた。

 「『河野談話』を追認すれば間違った歴史認識が独り歩きすることに島根県議会が手を貸すことになる」

 懸念する事態はすでに起こっている。

 慰安婦像を設置した米カリフォルニア州グレンデール市議会で7月9日、設置推進派の市議はこう発言した。

 「日本でも多くの市議会が慰安婦問題で決議している。私たちは正しいことをしているのだ」


引用終わり
(*下線、色文字は筆者が付けました)


 最後の行に書かれていることがすべて。現在、このような日本国内の慰安婦決議採択がアメリカの地方で慰安婦像、碑の設置推進派に正当性を与え、根拠のひとつとして使われているのだ。今現地の日本人の有志の方々が一所懸命設置阻止の戦いで苦闘しているというのに。グレンデールでの設置後、ブエナパークは今のところ阻止に成功。けれどもまだまだ他の土地でも設置計画がある。こういう大切な時になぜ???????
県民ではないが、島根県議会の良識を疑う。

 それにしてもだ。この島根県議会の動きに対し、今回は危惧された県民の方がたが反対の意見表明をした。にもかかわらず、反対されたのが無所属県議たった一名だけとは何か恐ろしい光景を目にしているようで背筋が冷たくなる。地方議員といえど本気で政治家を選んでいかなければ日本は地方から侵食される。もう既に再起不能なところまできているのかもしれない。

 

<訂正の追記>
 大変申し訳ございません!m(__)mおっちょこちょいを発動してしまいました(>_<)

 島根県民の皆さんが反対の表明をしたのは、2013年6月26日に『日本軍「慰安婦」問題への誠実な対応を求める意見書』を採択した後のことで、この決議に対する撤回の運動とのことでした。反対されたにもかかわらず採択されたというのは間違いです。お詫びして訂正させていただきます。大変申し訳ありませんでした。ですからまだこの撤回要求の運動は継続中であり私たちも抗議に参加できます。さすがに今年の6月以降は慰安婦決議はされていないようです。もしかしたら慰安婦意見書決議を採択した議員は事の重大さに気づいた頃かもしれません。自分の所属自治体の動きは今後も注視していきたいと思います。


「ボストン美術館日本海表記削除」の件で官邸へ意見を送りました

 ボストン美術館の地図から「Sea of Japan(日本海)」表記が削除されたそうです。これは、後々日本にとっては慰安婦碑問題にも匹敵するほど、重大な問題に発展する恐れがあります。解り次第抗議を続けていかなければいつ「東海」表示に変わるかわかりません。こうした内容のことを官邸にメールしてみました。

<官邸意見メール>

国の将来を憂う主婦です。
中韓による海外での工作は看過できないところまできています。慰安婦碑然り、独島キャンペーン然り。本日のサーチナの記事では、ボストン美術館で日本海の表記が削除されていたということです。このまま放っておけば世界地図から日本海が消え、東海となる可能性も否定できません。その他様々なネタで日本は(情報戦、広告戦で)攻められています。

中韓は組織的、機動的に動いているため、日本はなかなか上手く対応できていないのではないかと思います。そこで提案ですが、とりあえず一般人に情報提供を呼びかけてみてはいかがでしょうか。例えば、どの国のどの地方でどんな独島広告が出されていたとか、メディアの地図から日本海の表記が消えていたとか、慰安婦碑の決議がされているとか、大きなことから細かいことまでを投函(メール)できる情報ポストの設置をします。今こうして出しているのは「ご意見・ご要望」ですが、「外国での日本の主権侵害に対する情報提供」(仮)として、これを外務省主導でなく官邸主導に窓口を一元化し、そこから外務省に下ろし各方面へと振り分ける方法です。主に海外に住んでいる日本人や、仕事で出張をされる方、旅行者の方に協力していただくわけですが、その周知をしっかりとしていけば情報は継続的に集まるのではないかと思います。

我々国民もできることは協力いたします。ですので、お金もさほどかからず小さなことからでも取り組んでみてはいかがでしょうか。とにかくアクションを起こして下さい。

 
 以上です。
 外国人は韓国ロビーの話を鵜呑みにします。けれども理論的、客観的な資料などでこちらが反論ができれば、聞き入れる場合もあります。いえ、もし受け入れてもらえなかったとしても、相手の反応を恐れずに違うことは違うときっぱり言わなければなりません。事なかれ主義、見て見ないふりが事態を悪化させる最悪の姿勢です。

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